いつか積み重なった先の誰かが君の願いを叶える。FLY ME TO THE MOON 第4話「フリージア」 このエントリーをはてなブックマークに追加 いつか積み重なった先の誰かが君の願いを叶える。FLY ME TO THE MOON 第4話「フリージア」

FLY ME TO THE MOON 第4話「フリージア」

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今週は32ページと大増量ですね。
FLY ME TO THE MOONの区切りです。

岩笠の娘が歩き続けていた。
ずっと歩き続けていた。
それがどれだけの時間なのかはわからない。
身体がボロボロになろうと、空腹になろうと、彼女は死ぬことができない。
気が付けば、自分の名前すら忘れていた。

見上げた月をみて、かぐや姫なら自分を元に戻すことができるのではないか?
月に行ってかぐや姫に会えば、元に戻すができるんじゃ?
でも、その手段がない。

歩いても、歩いても、辿り着くことができない。
声が届かないと知っていても、月にいるかぐや姫に「元に戻せ」と懇願する。

このシーンはトニカクカワイイ第119話「千の夜の越えて」で、
輝夜が見ていた場面なんだよな。

119話時点では、まだナサと再会していない2年の間の出来事かなと思っているところもあった。
でも、今回の話を読んで、思ったのは、輝夜は「かぐや姫」なのかもしれない。
ただそれが本当にそうかという問題はある。
前回のFLY ME TO THE MOON 第3話「名前のない怪物」で、少し竹取物語の話に触れていたけど、
羽衣を着たら「地上での記憶は一切消え」ということが書かれていた。
なので、もしかしたらかぐや姫の時の記憶を失ったのが輝夜なのかもしれない。
もちろん、全然違うかもしれない。
でも、なんらかの形で、月に向かって「元に戻せ」と叫んでいた岩笠の娘のことを
かぐや姫は見ていて、その記憶が輝夜に受け継がれてるんじゃないかな。

また輝夜は
「いつも誰かが泣いている夢
 そいつの息の根を止めてやれって」
という夢をみていた。
最初は物騒だったけど、これも「蓬莱の薬」を飲んだ彼女を解放してやるために
かぐや姫が思ったこと、もしくは誰かに託したことなんじゃないかな。

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泣いている岩笠の娘に声を掛けたのは身なりがキレイな男性。
この時代で身なりがキレイということは相当身分が高い人だろう。

というか彼の発言から、聖徳太子であることはわかる。
あとトニカクカワイイ第120話「命の花」の話で、
ナサが見た夢も聖徳太子視点ではあるんだけど。

聖徳太子の願いは「随と渡り合える大きな国を作ること」、それを手伝って欲しい。
一度、岩笠の娘はその願いを蹴った。
そんなことをするよりも、月へ行く方法を探しているのだから、手伝ってるヒマはない。
聖徳太子はその願いを叶えようと言った。
当然、当時の技術力ではそれは無理。
それを分かっている。
だから、聖徳太子が無理でも、その子供が......それでもダメなら、
さらにその子供の子供が......そうやっていつか願いを叶えよう。
といった。

聖徳太子は、岩笠の娘に「司」という名前を与えた。
人の歴史を司るものとして。

聖徳太子の「子々孫々」も皆殺しにされた。と、
司は言ってるけどたぶん違うんじゃないかな。

先の輝夜もそうだけど、おそらくナサも、
遥か昔から何かを託されている人たちなんだと思う。

生まれ変わりとは違う。

輝夜はかぐや姫の、ナサは聖徳太子の、彼らの願いを刻まれたんじゃないかな。
遺伝子に眠ってるのか、魂にあるのかわからないけど、
源流を辿っていけば、かぐや姫と聖徳太子に繋がるんじゃないのかな。
もちろん、この考えが間違ってるかもしれないけど、
それでも昔から繋いできたものだと考えた方がいいんじゃないかな。

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時間軸は戻って、「トニカクカワイイ」へ。
昔の一万円札を見ながら、お札に描かれている聖徳太子は全然似てないという。
そりゃあ、そうだろうよ!

FLY ME TO THE MOON、また司の正体がわかる前後で、
このトニカクカワイイという作品は大きく変わるだろうと思っていたけど、
本当にその通りだった。

FLY ME TO THE MOONを読んでからトニカクカワイイを読み直すと初見と印象が変わる。
だから、FLY ME TO THE MOONを経て、今後のトニカクカワイイを読むと、
作品から受ける印象が変わると思う。
表面的に受け取るのは「イチャコメ」なんだろうけど、
場面場面で大事な部分の受け取り方が、大きく異なってくるしその重さも違うと思う。

トニカクカワイイ (15) コミック 2021/4/16